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編者の言葉
幕末仙台藩の若き俊秀、新井常之進(奥邃、一八四六-一九二二)。戊辰戦争で榎本武揚勢と箱根に行き、ロシア正教のニコライに会い、翻然とキリスト教に目覚める。森有礼に見込まれ渡米、二八年間T・L・ハリス主宰の「新生同胞教団」に身を置き、労働と祈りの日々を送った。一八九九年、手提げ鞄一つで飄然と帰国、東京近郊で四年余りの流寓の日々の末、巣鴨に建てられた「謙和舎」で青年と共にひっそりと生活し、少数の門人の育成・啓発と無料で頒布した小冊子の執筆に心血を注いだ。生涯独身を貫いた思索の人で、己の過去を語らず、泥棒にまで同情される質素な生活に徹した。自分の写真を一切撮らせず、墓を建てることさえ許さなかった。
その奥邃を、足尾銅山操業停止と鉱毒被害民救済に粉骨砕身した田中正造は「斯道の亜聖」と仰ぎ、巌本善治、高村光太郎、江渡狄嶺、北海道の民権家本多新、ダンテ翻訳家山川丙三郎、人間の土地均享権の実現を天与の使命とした宮崎民蔵も奥邃と交流があった。
若き日の思想形成の滋養源だった孔孟思想と宋明学の概念を駆使・転釈しつつ、ハリスの教説やスウェーデンボルグ主義を咀嚼したキリスト信仰を堅持することで紡ぎだされた奥邃の思想は《儒基一如》と特長づけられよう。それは躍動する有機的生命観を前提に、雄勁な霊性と犀利な社会批判を兼ね備えており、改めて注目されている。
しかし、奥邃を学ぼうと思っても、これまで一般的には彼の死後刊行された『奥邃廣録』に拠るほかなかった。だが『廣録』の編者は軍が台頭する当時の世情を憚り、漢文調の古体をとどめた奥邃の語順に馴染めない一般読者を考慮したため、奥邃の原文に変更を加えた。その結果、双方を照合してみると、『廣録』では奥邃の真の意図が誤解されかねない側面がある。また編年体に大幅な変更を加えるなど、総じて問題を多く抱えている。
本著作集は、奥邃が自ら印行した冊子や刊本を底本とし、奥邃の原稿を参照しつつ、新字体使用のほかは必要最小限の変更だけにとどめ、かつそれを明示することを原則とした。また幕末維新期の論稿、アメリカで印行した著作、帰国直後の手稿本『奥邃小言』(一九〇〇年)、政教社発行『読者読』(一九〇二年)をはじめ、『女学雑誌』『日本人』『実験教授指針』などの掲載された論考を網羅した。さらに奥邃を取り上げた明治・大正期の新聞雑誌の記事、大和会資料、二百通以上の書簡、墨蹟、関係年譜、キーワード索引、聖書語句引照一覧をも収録することにより、今後の本格的な研究に寄与できる体裁を整えたものと自負している。

『新井奥邃著作集』編者
コール・ダニエル

新井奥邃著作集
Arai Ohsui

田中正造が師と仰ぎ、高村光太郎が絶賛し、野上弥生子が「霊感」の人と呼んだ新井奥邃とはいかなる人物だったのか。
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